「普通(ふつう)」ではなくても

古澤ふるさわ 康平こうへい

かの有名ゆうめいキャラクターきゃらくたー野比のびのびは、作中さくちゅうでこんなセリフせりふくちにしている。「学校がっこうがあるせいで子供達こどもたちきずつき。くるしんでいる。学校がっこうのないくにきたい!!」。残念ざんねんながらこういった「学校がっこうがなければいいのに」あるいは「学校がっこうなんてきたくない」とおもっていたひとおおいと言っていだろう、わたしもその一人ひとりだった、のび気持きもちはよくわかった。先生せんせいなんて子供達こどもたちきずつけていやおもいをさせるのを快感かいかんおもものなんだとしんじこんでいた。

いまにしておもえば、わたしものび被害者意識ひがいしゃいしきつよ子供こどもだったとおもう。

今回こんかいだい43かい夜間中学増設運動全国交流集会やかんちゅうがくぞうせつうんどうぜんこくこうりゅうしゅうかい以下いか交流会こうりゅうかい)に、わたし学習者がくしゅうしゃ立場たちば参加さんかした。本当ほんとうのところをうと、支援者しえんしゃでもおしえる立場たちばでもない自分じぶん参加さんかしてなに有益ゆうえきなことがあるのだろうか?と会場かいじょうはいってもおもっていた。本文ほんぶんでは、わたし学習者交流会がくしゅうしゃこうりゅうかい参加さんかしていたこと、おもったことを中心ちゅうしんつづらせていただきたい。

交流会こうりゅうかい最初さいしょ自己紹介じこしょうかいをした。最初さいしょに、といたがじつはこの自己紹介じこしょうかい大半たいはん時間じかんついやしてしまった。とにかくみなさんかたかたる。もちろんわたしかた一人ひとりだった。自己紹介じこしょうかいというよりは、おのおのの上話うえばなしかたった気分きぶんだった。はなしなかみな共通きょうつうしていたなとかんじたのは、本とうは「普通ふつう」に学校がっこうき、仲間なかま先生せんせいたのしい日々ひびごしたかったということだとおもった。最初さいしょから学校がっこう拒否きょひしていたわけではなかった。いじめ貧困ひんこん大人達おとなたちからの虐待ぎゃくたい…。そのようなことで、「普通ふつう」のひとたりまえにするしあわせをられなかったということが、どれほど無念むねんだったか。そして、現在げんざいでも後遺症こういしょうともいうべきらさにくるしみながら生涯しょうがいという舞台ぶたいうえでのたうちまわっている。それでも(自主じしゅ夜中やちゅうという「本来ほんらい」のものではない学校がっこうってまでたいものってなんだろう。おそらくそれはたんなる学習がくしゅうだけではないなにか…。言葉ことばにすることはむずかしいのではあるが。

わたし今回こんかい交流会こうりゅうかいを「むずかしいことばかりをはなすんだろうな」ととらえていた。それが前述ぜんじゅつ自分じぶん参加さんかする意義いぎとは?という気持きもちにつながっていた。だが交流会こうりゅうかいたんなる集会しゅうかいではなかった。そして支援者しえんしゃみなさんの夜中やちゅうにかける情熱じょうねつは、かつてわたしやのびにくんでいた学校がっこうという場所ばしょを「くことがたのしい場所ばしょ」にえてくれるにちがいない。そして自分達じぶんたち学習者がくしゅうしゃはそのエネルギーえねるぎーひとつになるとかんじた。

最後さいごに、懇親会こんしんかいでおはなし、一緒いっしょ写真しゃしんった西畑保にしはたたもつさんと、地下鉄ちかてつまよったさい案内あんないしていただいたおねえさんに感謝かんしゃもうげたい。

西畑保にしはたたもつ
1936ねん和歌山県わかやまけんまれる。64さい奈良市立春日中学校ならしりつかすがちゅうがっこう夜間学級やかんがっきゅう入学にゅうがく、2020ねん卒業そつぎょう。2024ねん西畑にしはたさんの人生じんせいえがいた「35年目ねんめラブレターらぶれたー」(小倉孝保おぐらたかやす/ちょ 講談社こうだんしゃ)が出版しゅっぱんされ、2025ねん映画化えいがか予定よてい